音楽の教科書の話

私の学生時代と今とで、もっとも変化があった教科書は、もしかすると音楽の教科書かもしれません。

歴史の教科書は、年数の経過分、新しい事柄が追加されているはずですし、世界地理の教科書は、地名などの固有名詞の読み方が現地で用いられている発音に変化したようですから、だいぶ違いがあるとは思います。(アフリカ大陸の独立国の数も、まったく違っていたりしますがね。笑)
でも、基本が変化しているわけではありませんから、歴史・地理で私たちが勉強したことは、今でも学生さんたちが同じように勉強しているわけです。

ところが、音楽の教科書は違いますね。
私たちが歌った曲そのものが、今では教科書に載っていないわけです。
いろいろの音楽が、どんどん作られていますので、教科書で紹介されたり、歌の勉強に使われる曲が変化するのは自然な現象です。
でも、私たちの時代にはあった曲が、教科書に載らなくなってから、社会からも「消えてしまった」というケースがいくつもあります。
「載らなくなった」理由が「歌詞に使われている言葉が古い形のものであり、児童が歌うのには難解である」というもの。これらは、有名な童謡であろうと、「消えて」しまいました。

子供のころ、実はきちんと意味もわからないまま歌い、親しんだ童謡が聴かれなくなってしまうことは、ちょっと残念なことだったりします。
まぁ、「きちんと意味もわからないまま」で勉強させられても、困るといえば困るんですけれどね。笑

古典や国語の教科書なら普通なのでしょうが、なじみのない単語について、教科書に説明が書いてあることはよくあります。
私たちの利用した音楽の教科書には、そういう説明が山ほど必要になりそうな歌がいっぱいありました。
古くから伝わっている日本の童謡の歌詞というのは、古典的言い回しというか、かなりむずかしい単語がならんでいるのです。当時の先生たちは、それらを児童にわかる言葉で説明する必要があり、きっと面倒なことだったでしょうね。
せっかく説明してもらったはずなのに、聞き落としたのか、聞いていなかったのか(笑)とんでもない思い違いをしたまま歌っていることもありました。
「変な歌詞」
いえ、たいてい、自分のカン違いで、歌詞がまちがっていることはないのですけれどね。

有名な笑い話では、「ふるさと」があります。
うさぎおいし、かの山、小鮒釣りし、かの川・・・
ウサギを追いかけたのです。
ふるさとの山のウサギが食べたら美味かった・・・という話ではありません

「浦島太郎」
もどってみれば、こわいかに。もといた家も村もなく・・・
私の夫は、竜宮城から帰ってきた太郎が、海岸を歩いていたら、怖いカニにあったのだ・・と誤解していたことがあったそうです。
もどってみれば、怖いカニ。
海辺のことですから。笑
「これはどうしたことか」・・・こ は いかに?・・・なんですよね。

これは、今でも歌うのかな?「仰げば尊し」
おもえば いととし このとしつき・・・
「いととし」って何だよ?
卒業式の練習の時にそう思いましたよ。だって、普段使いませんから、そんないいまわし。
「いと とし」たいへんに早くすぎてしまった・・・先生が説明してくれましたが、古文の世界ですよね。

「我は海の子」
我は海の子 しらなみの さわぐ磯辺の松原に 煙たなびく とまやこそ 我がなつかしき 住家なれ
私が大好きだった歌の1つです。格調高いです。でも、
「とまや」・・・わかりません。笑
「とま」で屋根を葺(ふ)いた家・・・のことです。
「とま」・・・わかりません。爆笑
菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだむしろのことだそうです。和船や家屋を覆って雨露をしのぐのに用います。
やっと、結論がでました。たいへんに粗末な家である・・・と歌っているわけですね。
(菅と茅がわからなければ、今度は植物図鑑が必要でしょう)

たしかに、この調子では、音楽の授業だか国語の授業だかわからなくなってしまいます。
多くの歌が消えていったのは、止むを得ないことだったのでしょうね。

「こいのぼり」の歌詞で
甍の波と雲の波 重なる波の中空を・・・
「甍の波」が小学生にはわからないから説明しようとしたら
先生「屋根瓦がたくさん重なり合って、波のようになっているということですよ。」
児童「やねがわらって、なんですか?」
その頃スレートぶきの屋根が大流行していて、かわらの屋根がぜ〜んぜん見当たらなかった・・・という、笑えない話もあります。
今だったら・・・
大都会の小学校、見渡しても、あたりは超高層ビルの群れ、瓦の屋根よいずこ・・・汗。

時代・・・やぁっぱし、時代の流れなんでしょうか・・・

                                   もどります



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送