忘れる恐怖 (ファイナルファンタジーVIII)


ゲーム、特にRPGを作る上で、やってはいけないこと・・・というのは、いろいろあります。
世の中の一般常識でわかることは当然ですが、それ以外は、各メーカーがいろんな作品を発表して、その中で失敗点を反省しながら現在の形ができてきたのだろうと思います。

その「やってはいけない」ことの1つに「プレイヤーのそれまでの努力を無にするようなバトルをさせてはいけない」というものがあります。

たとえば、何度も何度もバトルを繰り返して経験値をため、せっかく味方のパーティを強くしたのに、さて、ボスにチャレンジしたら、レベルアップなんてまったく何の役にもたたないような方法でボロボロにされてしまった・・・。
これでは、プレイヤーは怒ってしまいます。

プレイヤー側をピンチにするための大技は出してきたとしても、それに対処する方法は必ず用意する、もしくは残しておかなければいけません。
ゲームですから、これだけは守ってもらわなければ困るわけです。

繰り返される大ピンチをいかにくぐりぬけて、相手にダメージを与えることができるのか・・・このあたりのバランスが作る側の「」ってやつなんでしょうね。

私が今までに体験してきたRPGの中で、最もギリギリのところまでそれを追求したのは、ファイナルファンタジー8のラストバトルでした。
プレイヤーの努力が無に帰すか?それとも、耐え抜くことができるのか?
境界線の「敵」が登場します。

FF8は、レベルを高くするだけでは本当に強いユニットになりません。
強くなりたければ、召喚獣(GF)をジャンクションし、いろいろな方法でドローした魔法を装備してパラメータを上げる必要があります。
召喚獣も魔法も、単にバトルに使用するためにあるのでなく、自軍の強化に使われるものなのです。

だれのどの能力に何をくっつければいいのか?
プレイヤーは考えぬいて自分なりの作戦を立てるわけです。

能力UPに有効な組み合わせを見つけ出し、その材料である魔法を集めて装備させる。経験値集めより、よほど複雑で手間隙のかかる作業をして、さぁ、いよいよラストバトルに挑んでいるはずなのです。

ところが・・・
その努力の結果である召喚獣や魔法そのものを1つ、また1つと無効化していく、そんな力を持った最後の敵が登場してくるのです。

召喚獣が無効化されれば、大ダメージを取れる手段が減っていきます。召還獣によってあたえられていたアビリティも消失します。
魔法が無効化されれば、その魔法が使用できなくなるだけでなく、味方ユニットの能力が確実に低下することになります。
つまり時間がたてばたつほど味方はどんどん弱体化していってしまうことになります。
最後に残るのは基本能力のみ。
あんなに時間をかけてやってきたことは何だったのぉ〜〜っ?!
思わず叫びたくなるようなラスボスです。

(もちろん、ゲームですので、直接攻撃以外にもちゃんと敵を攻撃するための方法が用意されています。それにしても、味方の回復方法をふっとばされてしまったりすると、大いにあせったりするわけですが・・・笑)

なぜ、こんなラスボスが登場してくるのか?

それは、FF8のテーマの1つが忘れる恐怖だったからです。

あるべき召還獣、覚えた魔法の消失・・・これは、バトルにおいて「忘れる恐怖」そのものなのです。

プレイヤーはここまでのゲームの展開で、大切な過去の思い出などを忘れてしまう怖さをみせつけられてきています。
そして、最後のバトルでまたまた「忘れる恐怖」を味わって、苦心惨憺いよいよ敵を追い詰めると・・・
最後の敵が語り始めます。

人は、たとえ、どんなに大切な思い出であっても、忘れてしまうものである。
忘れまいとして、手をにぎりしめようとも、
いともたやすく、その手をすりぬけてしまう。
子供は、いろいろの大切なものを忘れ、きりすてて、大人になっていくのだ。
(大意)

初めてクリアした時・・・いやぁ、怖かったです。
ラストバトルの内容の怖さももちろんですが、最後の敵のセリフの重かったこと!!

すでに大人だった私は、いったいこれまでに、どれくらいの「大事なこと」を忘れてきたのでしょうか?
そして、今どんなに大切に思っていることでも、やがていつか、なにごともなかったかのように忘れ去って生きていくことになるのでしょうか?
背筋がゾっとしました。
エンディングの美しいムービーが流れても、重いくさびが心に打ち込まれたような気分が消えませんでした。


でも、あのプレイからさらに年月がたって・・・・・
最近ちょっと考えが変わってきました。

忘れることは、実はそれほど怖いことではないみたいです。

どんな内容であろうと、忘れてしまえば、それで終わり。
忘れた本人がさほど苦しむことはありません。
(まぁ、時として、まわりとの関係で困ることはありますので、大事なことはメモくらいとっておきましょうね。笑)
どっちかというと、忘れ去られて苦しむのは、実はまわりの方だったりするかな?

本当に忘れたくないことは・・・忘れないものですよ。

子供の頃の大切な思い出
忘れましたか?
そりゃまぁ、常時、頭の中にあるわけではありません。
でも、それは頭の中の「ひきだし」に大切にしまってあると思います。
きっかけがあれば、私はたぶん「ひきだし」をあけて取り出すことでしょう。
忘れてしまったことは・・・きっと忘れても良かったことなのだと思っています。

子供の頃のいろんなものを切り捨てて大人になりましたか?
切り捨てたわけではないと思います。
子供だから見られる夢物語、とてつもない希望(たしかにそういうものはありました)。でも、それらは、現実にそった判断の下で「形を変えた」のだと思います。
切り捨てなくても形を変えて残せることができるものはいっぱいあります。判断力がつけば夢の方が自動的に形を変えることもあります。
切り捨てて泣くのは、実はまだ子供。
可能な形、実現できる形に変えていくことが大人になる過程であったような気がします。

ラスボスさん、あなたは思いのほか「若い」魔女さんだったのかもしれませんね。

私が最近怖いと思うことはむしろ逆のこと。

忘れられない恐怖の方です。
忘れた方がいいことなのに、なぜか忘れることができないことって結構あります。
そして、もう1つ。
覚えられない恐怖です。
大切なことなのに、たった今あったことが記憶できなくなっていくことです。
(忘れる以前の問題なんです)

年齢が進むにつれて、ますますそれが増えるように感じてきました。

忘れるのも恐怖。
忘れられないことも恐怖。
人間って、かなり面倒な生き物なのかもしれませんね。

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